多くの文人や詩人がインスピレーションを受けた鳥取砂丘。その文学的な魅力と作品に息づく砂丘の風景を特集します。
鳥取砂丘西側には、文化と自然が織りなす歴史の息吹を感じさせる文学歌碑がいくつか点在しています。これらの歌碑は、詩人や文学者たちが鳥取砂丘の美しさや情感を表現し、その作品を後世に伝えるために設置されました。
ある歌碑には、鳥取砂丘と日本海の広大な風景を背景に、人々の心に響く和歌が刻まれています。その和歌は、砂丘の起伏や風の音、波のきらめきを巧みに表現し、訪れる人々にその地の魅力を再認識させる役割を果たしています。また、砂丘をテーマにした詩碑や、自然への賛美を表現した文学碑もあります。
これらの文学歌碑を巡ることで、ただ景観を楽しむだけでなく、当時の作家たちの思いを共有し、鳥取砂丘の豊かな文化的価値に触れることができます。文学と自然が融合したこれらのスポットは、静かな感動を呼び起こし、心に響く体験を提供してくれるでしょう。
【歌碑・句碑一覧】
◆有島武郎歌碑
「浜坂の遠き砂丘の中にしてさびしき我を見出でける(つる)かも 」
白樺派の作家として有名な有島武郎は、大正12年に来鳥、砂丘を訪れました。武郎がこの歌を詠んで約1ヶ月後に軽井沢で情死を遂げたこともあって、砂丘を世に広めた一首です。
◆与謝野晶子歌碑
「砂丘踏みさびしき夢に与かれるわれと覚えて涙流るる 」
昭和5年、与謝野晶子は夫の寛(鉄幹)とともに砂丘を訪れました。この歌は、友人有島武郎への鎮魂歌として詠まれました。
◆枝野登代秋歌碑
「砂丘をいくつ越えしが波音のまち゛かにきこえて海はまだ見えず 」
枝野登代秋は、短歌誌「情脈」を昭和6年に創刊・主宰し、短歌人口の底辺拡大に努めました。
◆高浜虚子句碑
「秋風や浜坂砂丘少し行く 」
昭和7年に俳誌「ホトトギス」主宰の高浜虚子一行が砂丘で吟行会を開催した際に詠まれた句です。※2025年3月現在立ち入り禁止区域内につき見えにくくなっています、ご了承ください。
◆森川暁水句碑
「月荒き砂丘は古邑うづむとや」