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「#うつくしかの」な魅力を再発見!鹿野町で歴史めぐり

中世より主要な交通の要衝であった鳥取県鹿野町。軍事的拠点として重要視され、戦国時代には数々の大名達によって、鹿野城を巡る攻防戦が繰り返されてきました。かの有名な羽柴秀吉は、鳥取城攻略の際に亀井茲矩を鹿野城の城主として送り込みました。玆矩は鹿野町の交通整備、水路などのインフラを整え、現在の鹿野町の基盤を作りました。

現在も残る古い町並みは、かつて物資の集積地や鹿野往来の宿駅として経済的に発展していた当時の名残を感じます。

「#うつくしかの」な魅力を再発見!鹿野町で歴史めぐり
茂宇気神社
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茂宇気神社の御祭神は天照大御神、大山祇命、稲倉魂命 。神社の起源は古く、慶安3年(1650年)の棟札が存在していることをみれば、これ以前から地元河内の氏神であり、妙見大権言と称しておりました 。寛文7年(320年前)藩主…
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雲龍寺
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当時気多郡司であった紀氏常により建立され、天正年間に譲伝寺の忠岳和尚が双樹林山涅槃禅寺と称し再興したと伝えられています。また、池田家の家老日置忠俊が鹿野城主時代に水谷集落内へ移転し、その後1636年に現在地に移さ…
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城山神社
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創立年代は不明ですが、もとは加知弥神社の摂社で古くから妙見大明神と称し町民から崇敬されていました。スサノオノミコトを祀り、亀井茲矩在城の頃は鹿野城の守り神としてまつられていました。1813年から古式を守り伝えて今…
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加知弥神社
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祭神は彦火火出見命、鵜萱葺不合命、玉依姫命創立年代は不詳だが延喜式神名帳に載る古社で、昔は「勝宿大明神」と呼ばれていた1000年の歴史をもつ神社。かちみの名から「乱世を勝ちぬく」と言われ、 中世以降武将の崇敬が厚…
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鷲峯神社
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御祭神は大己貴命・素盞鳴尊・稲田姫命。神代の昔、八千戈神(大己貴命)が大鷲に乗ってこの山に鎮座したことによって山を鷲峰山と名付け、命をまつる神社としたといわれています。初めは山頂に鎮座していましたが、809年御…
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布勢の清水
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鹿野城主亀井茲矩(かめいこれのり)公が「その清冷さ氷のごとき」と称賛し、傍らに涼亭を設け、夏の日には日毎に納涼されたとされている名水。1日の湧水量は7,500トン。1909年にはこの清水を利用して町内でも初めての水道…
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幸盛寺
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亀井茲矩(かめいこれのり)公の義理の父で、非業の死をとげた武士で尼子十勇士の一人、山中鹿之助幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)を弔うために現在地に移転させ、幸盛の名にちなみ「幸盛寺(こうせいじ)」と改めたお寺…
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亀井武蔵守玆矩の墓所
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鹿野城主亀井玆矩公の墓所。鹿野町と気高町の境界である、通称武蔵山の「名字ヶ鼻」にあり、鹿野の城山を望む景色は一見の価値あり。
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法師が滝
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河内川上流の谷川にかかる法師ヶ滝。三徳山(三朝町)の僧の修行場であったといわれ、滝壷では僧が座禅を組んだ石を見ることができる。高さ15mから勢いよく流れ落ちる水流は迫力満点。響き渡る水音と美しい緑の苔岩が醸し出す雰囲気は壮観で神秘的です。
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Column

鹿野のヒーロー『亀井さん』こと亀井玆矩ってどんな人?

亀井玆矩公は戦国時代に活躍した武将で、信長、秀吉、家康に謁見した、因幡鹿野藩初代藩主です。

戦国時代には多くの武将が誕生し、また滅んでいきました。そんな生き馬の目を抜く戦国時代を華麗に生き抜き、亀井家を数百年続く江戸時代末期まで武家として存続させました。1581年に鹿野城主となり、水路や交差点などのインフラを整備し、鹿野の町の基盤を作りました。

鹿野町では「亀井さん」の愛称で親しまれ、今なお地域住民の方から愛されています。


亀井玆矩公の墓所からは鹿野の城山の景色を楽しむことができ、現在も多くの人が訪れます。

鹿野のヒーロー『亀井さん』こと亀井玆矩ってどんな人?