幻の一大決戦!秀吉vs.毛利 〜真説「鳥取城の戦い」〜 秀吉が仕掛けた包囲戦「鳥取城の戦い」
◆幻の一大決戦!「鳥取城の戦い」とは…
1.織田信長が『名城』と評した鳥取城
2.吉川経家の戦略と兵糧攻め
◆幻の一大決戦!「鳥取城の戦い」の舞台を巡る
1.太閤ヶ平(たいこうがなる)
合戦との関わり
兵糧攻めに際して秀吉が築いた包囲網の内、山稜地帯に残る陣城の多くは今日でも良好に遺存する。その中枢に位置するのが、後に太閤ヶ平と呼ばれる陣城群の本陣である。太閤ヶ平は、鳥取城跡本丸(標高263m)から東側1.3kmの本陣山(標高251m)に所在する
◆2.丸山城と雁金山城
合戦との関わり
丸山城(標高83m)は、吉川経家が海路から鳥取城への補給路を確保するために築いた出城で、奈佐日本之助が守備した。当時、周辺の河川流路は今日と異なり、日本海へ続く千代川は、丸山城の西麓に接し、船で兵糧を運び込むことができた。一方、雁金山城は、丸山城と鳥取城の間に横たわる尾根の最高所(標高140m)にあった繋ぎの城で、塩冶周防守高清が守備した。しかし、織田方の宮部継潤が鳥取城と雁金山城の間の峠から猛攻を加え、塩冶周防守は丸山城に逃れ、鳥取城への補給は断たれることになる。
◆3.大崎城
大崎城は、丸山城から西へ約11kmに位置した海城である。日本海へ張り出し三方を断崖に囲まれた標高94mの岬に築かれた。大崎城と丸山城の間は、砂丘海岸であり、岩陰など遮るものがない。従って、山麓に港機能を持つ入り江を有した大崎城は、丸山城への兵糧搬入可能な海城のうち最後の拠点であったが、鳥取城落城1ヶ月前に山下が焼き払われた。
◆4.防己尾城(つづらおじょう)
防己尾城は、湖山池西岸に突き出た標高39mの丘陵に築かれた。「因伯仕切りの城」として重視された鹿野城や海城である大崎城への補給路を抑える要衝であった。この地の国人で毛利方の武将、吉岡将監が守り、鳥取城を包囲する秀吉方の背後を脅かした。そのため、秀吉によって三度攻撃されるも全て勝利。秀吉軍から千成瓢箪の馬印を奪ったことでも知られ、鳥取城落城まで持ちこたえたという。
◆5.鹿野城
鹿野城は、鳥取城から西やや南寄り約20㎞の地点、標高150mの山体に所在する。因幡国(鳥取県東部)と伯耆国(鳥取県中西部)を内陸部で繋ぐ交通の要衝にあり、「因伯仕切りの城」として重視した毛利氏は、城を改修するとともに、鳥取城主であった山名豊国の人質を置き、因幡支配の重要な拠点とした。
◆鳥取市歴史博物館(やまびこ館)常設展示室でもっと詳しく
中世~近世の歴史
鎌倉時代から戦国時代の因幡国の動向を展示しています。天正9年に起こった鳥取城の兵粮攻めが、武将たちの布陣模型でわかりやすく展示しています。